こんにちは、コロスケ( Corosuke blog)です。
鴻上尚史さんが書いた「空気」と「世間」という本を読みました。
結論、名著です。
最近読んだ本の中で一番勉強になりました。
この本は、日本社会に広がる「空気を読む文化」にある「空気とは一体何なのか?」を明確化しています。
阿部謹也の「世間とは何か」も読みましたが、個人的には鴻上さんの本がしっくりきました。
この本をおすすめしたいのは、以下の属性の人たちです。
・日本の大企業で働いている人
・地域の組織、学校など、古くからの組織に属している人
・つい周りの空気を読んで行動してしまう人
・周りの同調圧力にうんざりしている人
僕はドンピシャ当てはまる属性でした。
同じ境遇の方は、一読の価値があるので、ぜひ読んでみて下さい。
以下では、「世間とは何か」「「空気」と「世間」」の文章を参照しながら解説していきます。
【名著】鴻上尚史さん「空気」と「世間」を読んだ感想
まず空気を理解する上で欠かせない「世間」を定義します。
世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分から進んで世間を作る訳ではない。何となく自分の位置がそこにあるものとして生きている。
【出典】阿部謹也_世間とは何か
働いている会社、隣近所、サークルメンバーなど、自分とかかわりを持つ人たちとの「関係の環」が世間です。
世間の特徴
世間の特徴は、以下の通りです。
・所与のもの(自分で選んだ訳ではない、自分では変えられない)
・自分と利害関係のある人及び将来利害関係を持つであろう人たちで構成される
・比較的小さな人間関係の環で作られる
・安心感、安定感、所属感、経済的安定を得られる
・義務を伴う
・個人より世間の名誉が重視される
世間の一番の特徴は、世間が所与のものである点です。
隣近所・クラスメート・職場の上司同僚は、自分で選ぶことができません。
正確には引っ越しをしたり転職をすれば解消できる関係ですが、気持ちの上では「自分ではどうしようもない」という雰囲気が漂うのが世間の特徴です。
また世間は、利害関係を持つ比較的小さな人間関係で作られます。
何となく世間というと、広く普遍的な概念と思いがちです。
ですが実のところは、自分と関係する人たちだけで世間が作り上げられます。
世間の中で生きる事のメリットは、安心感・所属感・経済的安定を得られる点にあります。
組織の中にいるからこそ、明日の生活の心配をしなくて済むのです。
一方で世間の中で生きるという事は、義務が伴います。
様々な行事・イベントへの参加、権限を持つ人の理不尽な対応に耐えなければいけないなど、嫌な事が沢山あります。
世間の基本ルール
次に世間の基本ルールを紹介します。
・長幼の序:年長者である事に価値がある
・贈与・互酬:お互い様、持ちつ持たれつ、貰ったら必ず返す
・共通の時間意識
・差別的で排他的(同一性を強要する)
・神秘性、儀式性、呪術性(しきたり、迷信、伝統):理屈が無い
長幼の序と贈与・互酬は、わかりやすいと思います。
世間というつながりでは、上下関係がはっきりしています。
部活でも会社でも、先輩・年長者が偉いという考えが一般的です。
そして世間の中では、持ちつ持たれつ、お互い様という関係が生まれます。
「相手からもらったら、お返しをしないと気まずい」というのも贈与・互酬の意識があるからです。
次に世間は、共通の時間意識を持つ人たちで作り上げられます。
仕事が終わったのに周りの目を気にして帰れない人たちは、世間(この場合は職場)から排除されてしまう事を恐れているのです。
世間に所属する人は、自分の時間を使うのではなく、世間の所属員として「世間全体の時間を生きていく」ことになります。
次のルールが「差別的で排他的」です。
世間に所属する人は、世間のルールを守る限り、能力が無くても世間の中に居場所が与えられます。
一方で、世間は「世間の外」に対して非常に差別的で排他的です。
「混んでいる電車でおばちゃんが、お友達のために周りの席も一緒に確保する」
これは世間には優しいが、世間の外を無いものとする差別的で排他的な行動の象徴です。
他にも「自分は関係が無い=世間の外」と思うと、困っている人がいても目もくれません。
最後のルールが「神秘性」です。
これは、理論的な正しさよりも「伝統・しきたり・ジンクス・迷信」を重視するという意味です。
「これがしきたり」「今までこのやり方でやってきた」という理論とは別のところで押し切られた事は無いでしょうか?
理屈が通らず、年長者の鶴の一声や、過去の風習が重視されます。
世間と空気の関係
なぜ世間と空気が並列で語られているのでしょうか?
鴻上さんは、世間と空気は同じものであると説明しています。
「世間」が流動化したものが「空気」
【出典】鴻上尚史_「空気」と「世間」
先ほどまでの説明では「世間」という主語で語っていました。
それを「空気」に置き換えても話が通じることにびっくりすると思います。
世間を構成する条件(ルール)の内どれかが欠けていたり、共通の時間意識が不安定になっているものが空気と呼ばれます。
例えば、会社の会議ではっきりとしたリーダー(年長者)がいない場合に「空気」が生じます。
誰かが話を主導してくれるまで様子見の状況になります(みんなが空気を読み始める)。
こんな感じで、空気が生まれる裏側には世間が見え隠れしています。
こう書くと、世間の方が強く空気は弱いと感じるかもしれません。
しかし鴻上さんは、その瞬間の「空気」の力は圧倒的で、世間と変わらないと説明されています。
「空気が悪い」状態に居合わせた人なら、その場の圧倒的な力は分かるかと思います。
「空気」は決して弱いものではありません。その瞬間の力は圧倒的です。構成の面からみて不完全・不安定と呼んでも、その持っている力は、「世間」と変わらない場合があります。
【出典】鴻上尚史_「空気」と「世間」
令和の時代になっても僕たちは、世間という枠組みに縛られている事が良く分かります。
世間が中途半端に壊れかけている
このように強力な力を持つ「世間」ですが、徐々に世間が壊れつつあります。
大きな要因がグローバル化の進展です。
これまで世間の大きな母体は「会社」でした。
会社が昔の村のように、会社の中にいる人へセーフティネットを提供してきました。
これまでの会社は、偉い人=年長者であり、みんな1つの会社に一生勤める=同じ時間を過ごす世間の人たちでした。
しかし会社の「終身雇用、年功序列」制度が無くなると、世間が維持できなくなります。
若い人が上司になったり、若い人が数年で転職してしまうなど、世間と言えなくなりつつあります。
加えて、若い人を中心に世間に属していた人も、世間が強要する同一性や義務に辟易しています。
こうした人たちは、積極的に世間の外へ抜け出す動きを取っています。
不安な人・自立していない人は拠り所として世間・空気を求める
しかし、世間には忘れてはならないメリットがありました。
それは世間には「安心感・所属感・経済的安定」を与えてくれるという点です。
グローバル化が激しくなり、僕たちは世界中の人たちと競争しなければならなくなりました。
今までのように「持ちつ持たれつ」のやり方が通用しなくなり、生産性・経済的付加価値のみで評価されるようになりました。
もちろん、こうした経済的側面だけで評価される事を好む人もいます。
しかし多くの日本人は、自分支えてくれる存在、安心感を与えてくれる存在を求めています。
世間のおきてを守っている限り、能力の如何を問わず何らかの位置は世間の中で保てる。
【出典】阿部謹也_世間とは何か
競争社会の中で個性がせめぎあう関係の中を生きてゆくよりも、与えられた位置を保ち心安らかに生きてゆきたいと思っている日本人は意外に多い。
日本人にとって周囲と折り合ってゆける限りで、世間の中で生きる方が、競争社会の中で生きるよりは生きやすいのである
このような競争社会では、不安感は増していきます。
実際、多くの人が将来への不安を口にするようになりました。
こうした不安感を解消し、自分に安心感を与えてくれる存在として「世間」=「空気」を求めているのです。
組織で強いリーダーが求められるのも、強いリーダーに全てを決めてほしいという気持ちの表れなのかもしれません。
鴻上さんの提案:世間から緩やかに社会にはみ出していく
世間の中で生きていくのは、理不尽で個人の自由がありません。
一方で完全に個人として生きていくのも、同じくらいシンドイです。
どちらの生き方にも一長一短があります。
全てがうまくいく理想的な状態というのは、残念ながら存在しないのです。
そんな中で、鴻上さんは以下の生き方を提案します。
・世間から緩やかに社会にはみ出していく
・複数の共同体にゆるやかに所属する
・不安を支える場所を1か所ではなく複数個所に分散させる
結論として、世間ではなく「社会」に居場所を求める生き方が推奨されています。
社会とは、共通点が無い人同士が関係性を築いていく世界です。
社会で様々な共同体・コミュニティーにゆるやかに参加していく事で、世間から徐々に抜け出していくことが求められるのです。
また大切なのは必ず「複数の居場所を持つ」という事です。
1つの拠り所に全面的にすがる生き方は、世間というしがらみを生み出します。
世間という亡霊を呼び起こさないためにも、複数の共同体に所属し、バランスを取る事が大切なのです。
この考えは、嫌われる勇気にも通じる話だなと、読んでいて思いました。
他人に迷惑をかけない生き方
また鴻上さんは、壊れかけた世間に依存しないために「他人に迷惑をかけないように生きる」という考えを止めるように提案しています。
長いですが、とても大切だと思ったので全文引用します。
日本では、「他人の迷惑にならない人間」という時、自分のやることが「迷惑」になるのかどうか、常に考え続けることを求められます。伝統的な「世間」がまだ機能していた時には、なんとかなったでしょう。構成員が何を求めているのか、何を嫌がるのか分かっていたのですから。
けれど、今は違います。
ビジネスの例のように、自分のやりたいことをやる時、他人とぶつからない人はいないのです。子供二人が同時に「ブランコに乗りたい」と言ったとしたら、問題は、それを相手が「迷惑」と感じるか、お互いの正当な主張と感じるかだけなのです。お互いが正当な主張なら、そこから交渉が始まるのです。
子供の頃から「他人に迷惑をかけない人間になれ」と言われ続けた人は、他人との接触を避けるようになります。何が「迷惑」か分からず、常に考え続けなければならず、自分が明確な欲望をもってしまうと他人と対立することになり、それが「迷惑」と考えてしまうからです。
他人に頼ることを避け、自分がはっきりした欲望を持つことに戸惑い、人間関係から逃げ続けるのです。
けれど、他人と交わらないで生きていける人なんかいないのです。問題は、繰り返しますが、相手がそれを「迷惑」と感じるかどうかなのです。
求められるのは、「相手を思いやる能力」ではなく、「相手とちゃんと交渉できる能力」なのです。
【出典】鴻上尚史_「空気」と「世間」
僕に向けた言葉のように思えました。
僕自身、小さい頃から今も「周りに迷惑をかけていないかな?」と常に思っていました。
そして今僕は、自分の子どもに対しても「周りに迷惑をかけるな!」とよく言っているからです。
もちろん公共の場で大声を出す行為や、人込みで走り回る行為は、親として止めさせなければなりません。
しかし、他の子ども同士の利害が対立した時も、周り(世間:公園で遊ぶ子供の親たち)に迷惑が掛かると思っていました。
子どもが死ぬまで世間の中で生きていくなら、空気を読む力が必要だと思います。
しかし、これまで記載したように、世間は壊れかけています。
僕の子どもたちには、世間ではなく社会で生きてほしいので、「相手とちゃんと交渉できる能力」を育てていきたいと思います。
鴻上尚史さん「空気」と「世間」を読んだ感想まとめ
この本の主張である「複数のコミュニティーを持て」は、結論としては目新しいものではありません。
しかし「今の閉そく感・生きづらさはどこから来るのか?」「そもそも空気って何だ?」という疑問をこれほどまでに分かりやすく表現した本は無かったです。
JTCと呼ばれる古い日本企業で働く僕は、今でも日々「会社という世間」もしくは「世間の様相を呈した空気」を感じています。
世間の中で働くからこそ、空気・世間とは一体どういうものなのか?は知っておくべきだと思います。
(知っていれば適切な対応がとれるはずです)
最後にこの記事は、僕の備忘録的な意味で書いております。
ちゃんと内容が知りたいと思った方は、ぜひ本を読んでみて下さい。
鴻上さんの「空気」と「世間」は、比較的平易な文章で書かれているので、読みやすいかと思います。
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